KIWI HOUSEの歴史 1990年03/07/2017

Kiwihouseの歴史1990(1)
この写真は1990年に撮られました。 真中にいるのが キミちゃん(有場公子)。 キミちゃんは私がKiwi Houseを作って 始めて お客さんとして 来てくれた人です。彼女はその時 二十歳! なんと若い! そして こんなニュージーランドという 地球の果てにある国に そして Kiwi Houseの事なんか 何も知らないのに よく来たなー・・・・。 と 今更ながら感心します。

そして 私とKiwi Houseを信じてもらった事を 一生感謝する思いです。 彼女は神戸出身。 彼女が神戸震災の被害に会ったときに私は彼女に恩返しのつもりで 我が家に1年招待しました。そのとき彼女がニュージーランドに置いて行った(忘れていったのかな・・。)お金$7000が 私に任されて 未だに 銀行に残っています。 もう 一万ドルを越してるけど・・。 キミちゃん どうする? そのお金・・。 ま 放っとけば ドンドン増える事は 増えるけど・・。 9千ドル位になった頃 キミちゃんに どうするの? って聞いたら「後で ニュージーランドに家を買う」 とか 言ってたけど 家を買うなら もっと放っとかなきゃーね。 そんな訳で 私にとって キミちゃんとKiwi Houseとは 切っても切れない人であります。
さて右側にいるのは 「タク」 彼は私にNaka-Pを紹介した人です。 で 彼も又 Kiwi Houseから 嫁さんを ゲットした人でもあります。 タクー! お宅の御令嬢は お元気ですか? あれ以来 私のコンピューターにウィールスを送ったという ガさネタを送ったっきり 音沙汰ないけど 元気? 連絡すべし!

Kiwihouseの歴史1990(2)左の写真は 左がじゅんこさんで みきちゃんが連れてきた彼女のお友達。 真中で 下を向いてるのが みきちゃん。 みきちゃん元気? あれから ぜんぜん音沙汰ないね! もう 今から 12年以上も前の事ですね。キット Kiwi Hosueの事なんか 忘れちゃったかな・・。 でも のりさんは 物凄く みきちゃんの事覚えてるよ! 一緒に沢山 語ったね・・。 もし この ホームページ見たら ぜひ! 連絡してね! あれ以来 連絡が途絶えて なんか 淋しいよ。 私にとっては みきちゃんの印象は 強く、 是非是非 連絡を取りたい人です。 どーかこの写真を見つけて 又連絡してください。

右にいるのがShayne。 彼はあの頃17・8才。 彼が高校を卒業したばかりの頃だ。 なのに すでに彼は日本語がペラペラだった。 それも 外人アクセントのない 日本人そのままの 日本語。 そして日本人の若者の言葉なので 多分 電話で話したら 彼が日本人ではないのは 誰も分らないと思うくらい 上手かった。

彼は、いつも我が家(Kiwi House)にいてくれて ワーホリの人を助けてくれたり 私を助けてくれていました。 彼のおかげで 私はニュージーランド生活のノウ・ハウを学んだと言っても 絶対言いすぎではありません。 現在は カンタベリー大学で博士号を取った後 京都の大学で 教えてるのか 学んでるのか・・? なんだか 私の想像もつかない 偉い人になって 近寄りがたい人になりました。

Shayneちゃーーん! 元気かー? 去年あたりにメールで ちょっと連絡したけどあれから どうなったのかな・・・? 又連絡してください。 あなたとの最初の出会いは 1989の 2月です。 それ以来 10年はホントに 沢山一緒に過ごしましたね。 私はShayneちゃんの 指導のもとで 外国生活を学んで 来たような気がします。 本当に感謝します。

右の写真は みきちゃんと 小百合さんが Avon川で パウンティングをしています。 小百合さんは 岩手大学の学生。 日本に帰って 国語の先生になったという便りがきました。 小百合さんが ピアノを弾いて その上手さで みんなが ビックリしたのを憶えています。

小百合さんも今はどうしてるのかなー・・・。 ホントに懐かしい人ばかりで 今あってみたいなー・・。と思います。

Kiwihouseの歴史1990(3)この写真の家が 1990年の頃のKiwi House. そのお家で 毎日沢山の人が ワッサカ ワッサカしてて ホントに賑やかでした。 みんなの顔を一人一人見てると その頃の事が 沢山思い出されます。

196 Blighs Roadにあった Kiwi House. 家の前には 大木があって そこにいつもブランコが下げてありました。 シッカリした 頑丈なブランコで 大の大人も 平気で乗れるものでした。 で 不思議に家に来た人は 「全ての人が!」そのブランコに乗らないと 気が済まないのです。

裏は プライベート空間で レンガで出来たバーベキュウ・プレイスがありました。 何回ともなく バーベキュウ大会をやりましたね。

Kiwihouseの歴史1990(4)タクの 「ニュージーラント生活゙最後の要望」で "Tekapo旅行" が決定! みんなで 突風の中 吹き飛ばされながら歩いた トレッキング。夜中 みんなで満天の☆を眺めて ため息しか出なかったね。 Lokunは寝袋に入ったまま外に出て 芋虫状態で歩いていました。 左の写真=左から Lokun(のりさんの息子)
顔があまり良く見えてないのが サトウ君。 なんで名前を忘れて 名字だけ覚えてるのかなー・・。赤いジャケットで 両手を広げてるのが 賛美子。 彼女は15才でニュージーランドに来て 21才まで勉強していました。 英語ばかりの世界でばかり生活をしていたので 日本語が かなり怪しくなっていました。 そのかわり 英語はもう 母国語のようになっていました。 そして今はブラジルで ブラジル人と結婚して住んでいます。
賛美子の後ろに立ってるのが旅行の言い出しっぺ タク。
石の上に腰を下してるのが私です。

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